尚道館館長 岡田守正


 亡き祖父岡田守弘は大正12年、決して早いとはいえない28才という年齢で剣道専門家を志して、故郷新潟県を後にし東京・警視庁に入った。以後60有余年の歳月を剣道に傾け、昭和59年4月22日、90歳にて亡くなるその日まで剣の理法の修錬に努めたと言っても過言ではない。当時私は高校2年生であった。数ヶ月前より祖父は自宅にてほぼ寝たままの状態での生活となっていたが意識はまだまだしっかりしており、普段通りの会話も出来ていた。その後、祖父は毎夜就寝中うわ言のように稽古の号令を掛けるようになった。「やめー」「やめー」を繰り返すのである。あるいは昼間は誰かの稽古姿が目に映るのか「あれはいい稽古だ」などとそれを誉めてみたりする。亡くなる前日の夜は特に号令が激しく、近くで心配している家族に「もうあの稽古やめさせてくれ」と言ったりした。恐らく命の火が燃え尽きる寸前、数十年もの間精魂込めて指導してきた稽古の光景が文字通り走馬灯のように駆け巡っていたのではないだろうか。私にこの時剣道専門家の一生というものを見せてもらったという思いがある。自分が生涯掛けて取り組んできたものを死の直前まで考え、求め続けている姿が今も脳裏に焼き付いている。私が祖父並びに父の跡を本気で継いでゆこうと思ったきっかけであったかもしれない。
 祖父は警視庁でも有名になるほどの稽古熱心で通っていたと言われる。日に5回の稽古は当たり前という様な生活を何年も送る事により年齢の遅れを挽回しようと努力した訳である。私がそんな祖父の最も尊敬している所は、その様な猛稽古の中で身についてしまった稽古における悪癖を、自分自身で自覚し改める努力を終生怠らなかった点である。恩師斉村五郎範士十段の剣風に強く惹かれ、その理想の剣道を求め、それを創るべく根の役割を示す基礎(基本動作)を、古流(鞍馬流、小野派一刀流、警視流)居合道(夢想神伝流、無外流)杖道、薙刀などを学ぶことにより誰よりも探求し、剣の理合並びに刀の操作法を竹刀操作に活用させる事への研究努力を行い続けたその姿は理業一致の範であり、さらにまた、この様な事を現実に実践しきったのは剣道界に於いて中山博道範士の後は祖父だけではなかったのかとさえ思っている。自分が苦労しているので、門人その他への指導(特に基本指導)は常人には理解できないほどの粘り強さがあり、決して妥協や相手に根負けしないその指導振りはまさに執念というべきものであった。
 そんな祖父の最晩年に私は3才にて剣道をはじめ、加えて居合道、古流といったものを小学校へ上がる前から仕込んでもらった。5才の折、杉剣連少年大会にて祖父と居合道演武をさせてもらった事などは大きな思い出である。


 その祖父が亡くなる数年前、当時中学生であった私の将来における剣道について語るとき、「お前の今の面打ちはすこし投げ込みになるので打ちに『位』と『味』が出ない。あれでは将来本当に立派な面が打てるようになれない」と指導を受けた。祖父は生前書物(現代剣道百家箴・全剣連発行)に自身の理想の面技について最も大切な点を次のように書き残している。『機会に当たって打ち間から左足を踏み切り、右足を踏みつけると同時に左足の踵をやや下げながら、足と腰を残さぬように鋭くすり込む。そして技の決まる瞬間両手を前方に伸ばしつつ、掌中の作用を以って、額からすり込むようにして強く打つのである。』それは、物を投げ込むように竹刀を相手にぶっつけて行くような打ち方では人の心を打つ、本物の気剣体一致した技にならないという意味の指導である。当時の私にはそれを本当に理解できる術はなかった。そんな私に祖父は加えてこう語った。「お前の親父の打つ面をよく見て勉強しろ」父は祖父が斉村先生から受けた面技の教訓、そして「味」のある打ちを教えとしてしっかり受け継ぎ、表現していたのであり、祖父もそれを認めていたのである。父と祖父とは背格好がまったく違うので稽古振りも大きく違う。それは祖父が父に自分の剣道の「かたち」を押し付けず自分の理想とする斉村先生に学んだ剣道のイメージを伝えようとした表れに思う。しかしながら今度は父と私とでは又背格好が違う。ここでも父は私に自分のかたちを伝えようとはしなかった。祖父と父、父と私、それぞれ稽古の表現が異なっても同じ基本動作の反復から生まれたものがそこにはあり、別のものにはなり得ないのである。尚道館が何とか現在も保たれているのは門人各位がこの流派的発想を強く理解し、求めてくれているからに他ならない。一昨年尚道館では祖父が警視庁においてその制定に携わることが出来た「警視庁剣道基本」の動作、理合をもとに研究を加え「尚道館剣道基本形」として稽古法をまとめ、実践している。道場とこの形の中には祖父の魂が宿っている訳である。
 現代社会あるいは剣道界にどのような変化が生じようとも、この普遍的な価値観をもとにして新しいものを創造してゆく努力こそ私三代目の一生掛けて行うべき仕事であると認識し、祖父あるいは父の夢に描く理想の剣道に少しでも近づけるよう、次の世代に受け継いでゆくことこそ真の「道」であると理解している。


(平成13年 杉並区剣道連盟50周年記念誌寄稿文より)